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東京地方裁判所 平成7年(ワ)18368号 判決

主文

一  原告が被告から賃借している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成七年一月二八日以降一か月につき金七三万円であることを確認する。

二  原告・被告間の昭和六三年五月二三日の同目録記載の建物賃貸借契約に基づく原告に対する金一五四〇万円の更新料支払債務が存在しないことを確認する。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告の負担とし、その七を原告の負担とする。

理由

第一  原告の請求

一  原告が被告から賃借している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成七年一月二八日以降一か月につき金六五万円であることを確認する。

二  前項の賃貸借契約における平成七年一月二八日以降の保証金は金四〇〇〇万円を超えないことを確認する。

三  主文第二項と同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  賃貸借契約

原告は、昭和六三年五月二三日、被告から、別紙物件目録記載の建物(以下「本件店舗」という。)を左記の約定で賃借した(以下「本件賃貸借契約」という。)。

(一) 賃料 一か月につき金六五万円

昭和六四年五月二三日以降は一か月につき金一一〇万円

毎月末日限り翌月分を支払う。

(二) 期間 昭和六三年五月二三日から一年間

(三) 用途 書籍ビデオテープ販売等

(四) 保証金 金一億円

内金六〇〇〇万円は契約締結時に、残金四〇〇〇万円は昭和六四年五月二二日限り支払う。

原告の本件店舗明渡しの一二か月後に賃料一〇か月分を償却して返還する。

(五) 更新 協議の上更新できる。賃貸借が更新された時は更新料として賃料二か月分を支払う。

2  保証金の支払

原告は被告に対し、右契約締結時に保証金の内金六〇〇〇万円を支払い、平成元年五月二〇日、被告との間において、右保証金の残金四〇〇〇万円の内金二〇〇〇万円の支払期限を平成二年五月二二日まで猶予することを合意し、原告は平成元年五月二七日、被告に対し、金二〇〇〇万円のみを支払った。これにより、原告が支払った保証金の合計額は八〇〇〇万円となった。

3  賃料等の減額請求

(一) 原告は、平成七年一月二八日、被告と面談し、<1>現行の高額の賃料は、原告が被告から保証金の支払猶予を受けたために金利を加味して合意したものであるが、すでに保証金を八〇〇〇万円も支払っており、こうした高額な賃料は妥当でなくなっていること、<2>原告が過去七年間にわたり本件店舗の賃料について一度の遅滞もなく、きちんとした支払を続けてきたこと、<3>バブル経済の崩壊により、三、四年前から原告の売上げが落ち込んでいること、<4>本件店舗の近隣で風営法所定の届出もせず、格安の地上げ物件で数件の同種店舗が営業展開を始め、これが原告の営業を脅かしていること、<5>周辺地価が低下し、近隣店舗の賃料相場も大きく低下していること、<6>原告が近隣で賃借している二つの店舗の賃料も減額してもらっていること等の理由により、被告に対し、保証金及び賃料減額の意思表示をした。

(二) 右の請求に対し、被告は、同年三月四日、原告と面談した際、賃料は従前と同様に月額一一〇万円を支払って欲しい、保証金は既払いの八〇〇〇万円から未払いの更新料七年分(賃料月額一四か月分)を差し引き、その残額を充てたいと答えた。

(三) 原告は、同年三月二七日、被告に対し、本件店舗の保証金を金四〇〇〇万円とすること及び賃料を月額六五万円に減額してほしい旨記載のある提案書を送付した。

二  争点

1  平成七年一月二八日以降の適正賃料

(原告の主張)

(一) 本件賃貸借契約の賃料は最初の一年は月額六五万円、翌年は未払保証金四〇〇〇万円に対する一年分の金利を加えて月額一一〇万円とし、保証金が一億円全額支払われた段階で月額六五万円に戻すとの合意があったが、原告はすでに八〇〇〇万円という高額の保証金を支払っている。

(二) 本件店舗の前記賃料月額一一〇万円は、近隣賃料に比べ不相当であり、その適正額は平成七年一月二八日以降、一か月につき六五万円である。

(被告の主張)

本件賃貸借契約において、賃料額は東京都区部の民営家賃間代の指数に比例して増減するものとするとの合意があり、賃料月額一一〇万円は未払保証金四〇〇〇万円に対する金利を加えた額ではない。

2  保証金の減額が認められるか

(原告の主張)

保証金についても借地借家法三二条を類推適用してその減額を請求できると解すべきであるところ、本件店舗の適正保証金は、平成七年一月二八日以降金四〇〇〇万円を超えることはない。

(被告の主張)

保証金の額は契約によって定められているが、契約当事者が合意によらず契約内容を変更しうるためには法令上の根拠が必要であり、既に履行済みの部分についてまでその内容を変更することはできない。

3  原告に更新料の支払義務があるか

(原告の主張)

(一) 本件賃貸借契約における更新料支払義務は、合意更新の場合に発生するものであるところ、原告は被告に対し、高額な保証金の返還についての担保を要求したにもかかわらず、被告は担保を提供しなかったため、平成元年五月二三日以降保証金残金二〇〇〇万円を支払っておらず、本件賃貸借は、更新についての合意がないまま、法定更新されたのであるから、更新料支払義務は発生していない。

また、原告から被告に対し、更新料とは別個に八〇〇〇万円もの高額の保証金が差し入れられ、かつ、明渡時に賃料一〇か月分もの償却が予定されていることから特に更新料により賃料を補充する意義は認められない。

(二) 本件賃貸借の更新料は、社会的に相当な額をはるかに超えた金額であって、更新料支払の合意は無効である。

(被告の主張)

本件賃貸借契約では一年の更新期間が定められており、原告は被告に対し、更新の都度賃料二か月分の更新料を支払う旨の合意がなされている。

第三  判断

一  本件店舗の状況

当事者に争いがない事実及び《証拠略》によると、本件店舗は、JR中央線「水道橋」駅の南東方約五五〇メートル、地下鉄「神保町」駅の北西方約一五〇メートルの神田神保町二丁目一六番街区の白山通りに東面して位置していること、近郊の神田の本屋街は小規模の本屋、文房具屋などの店舗の整理が進み、白山通りの東側は商業地域化したが、本件店舗の存する西側地域は都市計画道路予定地に含まれているために建替えが進まず、古い木造の店舗が残されていること、本件店舗は、木造モルタル塗セメント瓦葺二階建店舗で、床面積は一階三六・三六平方メートル、二階三六・三六平方メートルであり、その程度は定かではないが、破損部分からみて相当老朽化していることを認めることができる。

二  適正賃料額について

1  本件賃貸借契約の経緯

当事者に争いがない事実及び《証拠略》によると、本件賃貸借契約締結の経緯につき、以下のとおりの事実が認められる。

(一) 本件店舗は、原告の親会社であった有限会社アダルト(以下「アダルト」という。)が、昭和六一年五月一日、被告から期間二年間、保証金二四〇〇万円、賃料月額四二万三〇〇〇円の約定で賃借し、アダルトの子会社であった原告が営業店舗(アダルトビデオショップ)として使用していたが、アダルトが経営不振に陥ったため、昭和六二年一一月初めころ、原告の前代表者高田徳重は、原告が被告との間で直接賃貸借契約を締結したいと考え、被告の前代表者丹羽義一(以下「義一」という。)に賃貸借契約締結の申入れを行った。当初原告は、アダルトの地位をそのまま引き継いで同じ条件で被告と賃貸借関係を継続したいと考えていたが、義一は原告との契約は新規契約とし、保証金及び賃料の額を大幅に増額することを要求した。原告は、数回の交渉を経て被告の要求どおり、保証金額を一億円とすることに応ずることとしたが、右保証金を一括払いすることが不可能であったため、保証金の支払については、前記のとおり分割払いの約定がなされ、原告は被告に対し、保証金として内金六〇〇〇万円を支払った。賃料及び期間については、保証金を分割払いすることになったので、保証金残金の支払があるまでの暫定的な取決めが行われ、契約期間は二年間でなく一年間、賃料は保証金残金四〇〇〇万円全額が支払われるまで、これに相応する金利を含め月額一一〇万円とするが、被告の税金対策上、昭和六四年五月二二日までは月額六五万円、それ以後は月額一一〇万円とし、保証金が全額支払われたときには賃料を月額六五万円に戻すとの合意がなされた。

(二) この点、被告は、月額一一〇万円の賃料は保証金の残金四〇〇〇万円の預託期限後である平成元年五月二三日以降の額として取り決められていること、また、将来の賃料額について東京都区部の民営家賃間代の指数に比例して増減するものとの定めがあるから、賃料一一〇万円には四〇〇〇万円に対する金利分が含まれていることはあり得ず、右賃料及び期間の定めが保証金全額が支払われるまでの暫定的な合意であることはあり得ないと主張する。しかし、本件賃貸借契約の期間は当初の二年間が一年間と短縮されたこと、契約期間が一年と定められているにも関わらず、二年目の賃料が契約締結時に定められ、しかもその賃料が一年目の賃料の約二倍にも増額されている事実からすると、契約期間を一年としつつ、前もって二年目以降の大幅に増額された賃料を定めなければならなかった特別な事情があったことが推認されるが、右認定した以外に特別な事情があったことを窺わせる証拠もないのであるから、被告の右主張は採用することができない。そして、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

2  適正賃料額について

(一) 鑑定人稲野辺良一の鑑定結果(以下「本件鑑定」という。)によれば、本件賃貸借契約の平成七年一月二八日時点における正常賃料(本件店舗を新規に賃貸する場合の賃料)は、保証金を二二〇〇万円、更新料を期間三年毎賃料二か月分とした場合、<1>積算法による賃料月額坪当たり三万五三〇〇円、<2>事例比較法による賃料月額坪当たり金三万三五〇〇円のほぼ仲値にあたる坪当たり三万四五〇〇円、月額総額七五万九〇〇〇円であり、これから保証金の運用益(年五パーセント)及び更新料償却額を控除した正常実質支払賃料は月額六三万二〇〇〇円(坪当たり二万八七三六円)となること、事例比較法による本件店舗と同種同類型の継続賃料は、月額五七万四二〇〇円(坪当たり二万六一〇〇円)ないし同六六万四四〇〇円(同三万〇二〇〇円)であること、本件店舗が所在する神田地区における貸ビルの賃料は、平成三年をピークに下落し、平成六年にはピーク時に比較して約六〇パーセントの水準になっていることが認められる。

ところが、原告と被告間の本件賃貸借契約の約定賃料額は月額一一〇万円であり、これから未払いの保証金残額二〇〇〇万円の運用益(年五パーセント)を控除すると、その実質支払賃料は約一〇一万六六〇〇円となる。

(二) 右認定の事実と本件にあらわれた諸事情を考慮すると、前記合意に係る賃料月額一一〇万円は、近隣賃料に照らし不相当となったというべきであり、本件店舗の平成七年一月二八日以降の賃料は当初の一年間の約定賃料月額六五万円に未払保証金の残額二〇〇〇万円の運用益(年五パーセント)を加えた月額七三万円と算定するのが相当である。そして、原告が、平成七年一月二八日、被告に対し、本件店舗の賃料減額の意思表示をし、同年三月二七日付けの書面をもって賃料を六五万円にする旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがないから、本件店舗の賃料は平成七年一月二八日以降一か月につき七三万円に減額されたものというべきである。

被告は、本件鑑定が、平成元年五月二三日以降の賃料月額一一〇万円には、未払保証金に対する金利分を含むとの事実を前提としたこと、鑑定方法について配分法を用いないのは不当であるというが、右賃料額が合意された経緯は、前示認定のとおりであり、また、鑑定は必ず特定の鑑定方法、複数の方式を併用しなければならないものではなく、各算定方式の長所、短所を十分吟味し、増減請求の当時の経済事情や当該賃貸借に関する従前の経過等を考慮して合理的に定めるべきであるところ、本件鑑定にはその前提とした事実及び推論過程において、客観的に不合理であると認められるものはないから、本件鑑定を不当とする被告の右主張は採用することはできない。また、被告は本件店舗賃貸借契約において「東京都区部の民営家賃間代の指数に比例して増減するものとする」との合意がなされている旨主張するが、右合意の存在は本件賃料減額請求の妨げになるものではない。

三  保証金について

原告は、保証金についても賃料と同様、借地借家法三二条を類推適用してその減額を請求することができると主張する。しかし、借地借家法において賃料増減の請求権が認められたのは、賃貸借契約成立後、賃料についての協議が提案されたにもかかわらず合意が成立しない場合には賃貸借契約を終了せざるをえなくなるが、賃貸借契約が継続的関係であることに鑑み、賃貸借契約を終了させないで当事者の一方の意思表示によって賃料の変更を認め、適正な賃料を定めることによって賃貸人及び賃借人の地位の安定を図ろうとする趣旨であるところ、保証金は、賃料と異なり賃貸借契約成立の不可欠の要素ではなく、当事者の合意によって成立し、その額が定められるべきものであって、一方的意思表示により増減を認めるべき根拠はない。また、保証金は、賃貸借契約成立の際、継続的契約を前提として担保のために預託されるものであるが、預託した保証金の額が将来のある時点で高額と考えられる額になったとしても、それによって賃貸借契約の継続に支障をきたすものとは考えられない。このように、保証金はその存在意義において賃料とは全く性格を異にするから同条を類推適用することはできず、当事者の一方的意思表示によって保証金の減額を請求することができるという原告の主張は採用することはできない。

四  更新料について

《証拠略》によれば、原告と被告との間において締結された本件賃貸借契約書には、「賃貸借の期間は昭和六三年五月二三日から昭和六四年五月二二日まで満壱年間とする。但し、期間満了の場合原告被告協議の上更新することができるものとし、別段の合意ないときは壱ケ年宛更新されるものとする。」(第一条)、「賃借人はこの賃貸借が更新されたときは、その都度賃貸人に対し更新料として月額賃料の二ケ月相当分の金員を支払う。」(特約条項二)との記載がある。

しかし、本件賃貸借契約締結の経緯は前示認定のとおりであるところ、前記契約書記載の更新料支払に関する合意は、原告が被告に対し、保証金残額四〇〇〇万円を平成元年五月二二日までに支払い、その後賃料月額六五万円とする賃貸借契約が更新された場合について、原告が被告に対し支払うべき更新料についてなされたものというべきである。ところが、当事者間に争いがない事実及び《証拠略》によれば、原告は、平成元年五月二〇日、被告との間において、保証金残金四〇〇〇万円のうち二〇〇〇万円について、さらに一年後の平成二年五月二二日まで猶予するとの合意をし、それとともに同日、原告は残金二〇〇〇万円の融資を銀行から受けるため被告に対し担保を要求したこと、原告は、平成二年四月ころ、被告から保証金残額二〇〇〇万円の支払要求を受け、被告に対し右同様担保を要求したところ、被告は「考えます」と言って、この日の話合いが終わり、それ以降平成六年六月ころ被告が原告に対し保証金残金二〇〇〇万円の支払請求をするまで、賃貸借契約に関する話合いは全く行われておらず、この間原告は保証金の残金二〇〇〇万円の支払が未了であったので、月額一一〇万円の賃料の支払を続けていたことが認められる。以上の事実からすると、本件賃貸借契約は、保証金残金が支払われなかったため、新たな更新の合意がなされず、賃料月額一一〇万円とする暫定的な契約内容のまま存続していたものというべきであるから、前記契約書の更新料支払に関する条項は、このような契約関係についてまで定めたものと解することができず、他に原告が被告に対し右期間の更新料を支払うべき旨の合意がなされたことを認めるに足りる証拠はない。

五  以上のとおり、原告の本訴請求は、本件店舗の賃料が平成七年一月二八日以降一か月につき七三万円であること及び本件賃貸借契約に基づく被告に対する金一五四〇万円の更新料支払債務が存在しないことの確認を求める限度で理由があるが、その余は失当としていずれも棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 長野益三)

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